今月はめっきり短歌へのモチベーションが下がってしまった。自作を作るモチベーションはあるのだけど、他作を読むモチベーションがなかなか上がらない。理由はあるのだけど、あんまりはっきりとは言語化していない。かんたんに言えば自分が思う短歌の韻律なり質量なりに到達していないような歌が散見されることが短歌へのモチベーションを下げている。まあでもそんなことばかり言ってられないので今年Twitterで引用した歌を振り返ってみたい。
幾度も折り直されたあとのある鶴が休んでいる保育園/佐佐木定綱(「短歌」2024.10)
扇風機動かなくなるひと夏を牛肉のようにそばにいてほしい/竹中優子(「短歌」2024.10)
先月号の「短歌」の角川短歌受賞者競詠企画から。佐佐木の一首は、折り鶴を〈幾度も折り直されたあと〉と描写することで折り鶴に動きが生まれているのが面白い。保育園だからその跡が雑なことまで連想させるのも良い。竹中の一首は、扇風機が故障し、節約で冷房も入っていないだろう自室の空気と〈牛肉〉の鶏肉や豚肉と比した上でのレトロ感とが奇妙にマッチしているように感じた。どちらもぴったりの比喩かはわからないが、比喩なんて別にぴったりでなくても良いんです。
頭のなかで向かいの人の髪を切るそのほうが似合うと思うから/平岡直子(「現代短歌」2024.11)
「現代短歌」の作品連載から。歌の仕組みがわかるので素直に驚くことはないけれど、まあ及第点かな、と思うような一首。みたいな言い方はちょっと辛いですか。ただ、向かいの人の実際の髪型に対してもそこまで悪意はないというか、〈そのほうが似合うと思うから〉とは言ってるものの、「似合ってない」とまでは思ってないと思う。それぐらいの距離感から「頭のなかで向かいの人の髪を切る」絵を読者に想像させる、その距離感に平岡さんを感じる一首。
非常時のそういう救急搬送のようにつぎつぎオムライス来る/平岡直子(「歌壇」2024.10)
こっちは「歌壇」の巻頭作品。同じ巻頭作品に俵万智が寄稿していたこともあり、平岡さんの歌の中にある俵万智性=〈ようにつぎつぎオムライス来る〉に注目した。歌としてはこちらも仕組みがわかりやすい一首なんだけど、オムライスが〈つぎつぎ〉来るの〈つぎつぎ〉が作者の個性なのかな。オムライスがひとつだとあまりに象徴性が強すぎるけど、複数になることでその非常時性が緩和される感じとそのグロテスクさ(一人撃たれるのと複数人がつぎつぎ撃たれるのとでは喚起されるイメージが変わる)。
太陽のずっと下には信号と横断歩道の関係がある/永井祐(「歌壇」2024.10)
仕事が終わって僕はガーナを食べていて静岡県の「静」という字
連作で並んである二首で、二首目だけ見ると一見意味不明なんだけど、一首目の「信号」と「横断歩道」のお陰で「静」(しずか、と読んだ)の中の「青」「争」に気がついた。青と赤とが争うのが信号であり、その二字が入った「静」という字に注意が向かった歌が同じ連作にある。時期的に笹井賞の選考委員・大森静佳が関係しているのかとか思ったりした。引用歌を見る限り「ガーネット」がかなり良さげなので早く今月の短歌研究を手に入れて読みたい。
と、書いてきたのだけど、フィードがここまでしか出来なかったので、総合誌名(「現代短歌」「短歌研究」「歌壇」「短歌」)で検索して出てきた歌+「アンソロジスト」vol.4と椛沢さんの歌集から10首厳選してみた。良かったらあなたの最近のベストな10首も教えてください。
①迷惑系歌人となって【歌会に相田みつをの詩を出してみた】/三田三郎(『現代短歌』2024年9月号)
②あたらしい球技がしたい 二〇二八年までの代表入りを目指して/吉田恭大(『現代短歌』2023.11)
③夜の領土を逃れゆくときひまわりを暗渠へ捨てるなら頭から/服部真里子(『短歌研究』2024.7)
④姉として見ておりとおい石段の隅にちぎれた尾の痙攣を/大森静佳(『短歌研究』2023.1)
⑤腰を下ろして中身を出してなんだっけ、ああそうだ、流すんだ全てを/pha(『短歌研究』2024.5+6)
⑥伸びる過去と積もる過去とがあるでしょういずれも魔法ではないでしょう/佐伯紺(『短歌研究』2024.1)
⑦雪がみぞれにみぞれが光に変わってく 愛が 愛が 愛がうるさいよ/初谷むい「アンソロジスト vol.4」
⑧手芸店に紫の石を持ったまま見えなくなっていたの夕暮れ/山崎聡子「アンソロジスト vol.4」
⑨シャワーを浴びるときの角度のままずっと過ごす秋には掃除をしない/平岡直子(『短歌研究』2023.1)
⑩汗を引きずる声を引きずる むしめがね あればと百均で買っていた/椛沢知世『あおむけの踊り場であおむけ』