2019年8月27日火曜日

小中英之『翼鏡』について


明日、月と600円という歌集を読む会で第一歌集『わがからんどりえ』のレポートをするのだけど、それにあわせて現代短歌文庫で第二歌集『翼鏡』も読んだのでせっかくだし簡単に感想を書いておこうと思う。『翼鏡』については今月頭に出た『ねむらない樹』vol.3の「忘れがたい歌人・歌書」のコーナーで栗木京子が取り上げているので興味のある方はそちらもぜひ。その文章で栗木さんが「とりわけ印象深い」歌として挙げている集中ラストの

 

茅蜩のこゑ夭(わか)ければ香のありてひときは朱し雨後の夕映

 

はわたしもいい歌だと思う。茅蜩の声から〈香〉を感知したことによってシンプルな叙景歌にとどまらない魅力がある。『わがからんどりえ』はよくもわるくも〈われ〉であれ〈友〉であれ人間の存在/不在が前面に出ていてそれがダイナミックな詠い上げに結びついている一方、『翼鏡』は小中自身が〈螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり〉について書いている散文中で「そうして虹に「逢えた」日から、私の歌は変り始めた。ひそかに「人断ち」を自分の内的世界に課して、より頑固になった。」と記すように人間の影が薄い。そしてその「人断ち」を経て描かれる風景がとても魅力的だ。『わがからんどりえ』では〈月射せばすすきみみづく薄光りほほゑみのみとなりゆく世界〉と闇夜に射す月光によってそれはうっすらと光るものだったが、『翼鏡』ではむしろ光/闇という対比ではなく光そのもののグラデーションを描くことによって一本の光が顕ち上がってくる。
 

夕ひかりつつむ萱原さむくして貴(あて)なるごとく茎のかがよふ

庭の上(へ)のうす雪ふみて雉鳩のつがひ来あそぶこゑなくあそぶ

春の野のあかるき上にかぎりある夢とて草より青く波立つ

青すすき倒して水を飲み終えし四方(よも)さやさやと青芒立つ

立冬の昼すぎてよりいこふとき雲の涯(はたて)に水いろ軽(かろ)し

蓮枯るる間(かん)の水の上(へ)めぐりつつ午後四時ごろの水鳥の飢ゑ

枯野より枯野へかけて官能のごとくに日ざし移ろひゆけり

池の端あゆみゆくとも水澄まず水鳥に一日(ひとひ)終らむとして