2023年1月9日月曜日

「角川短歌」1月号から10首選すれば抱負が自ずから出た

「新春一三三歌人大競詠」を拾い読みした感想をつらつらと。角川の新年大競詠を読んで毎年のように思うのは作り手としての自分とはまったく無縁の文体の歌人がほとんどを占めるということで、柔道なんかの「階級が違う」に感覚としては近い。わたしは「見かけは平易な口語文体」で「ねじれやメタが高度」(瀬戸夏子)な歌風(わからない、という方は勉強してください)なのだが、角川的な文体までくるとシンプルに歌を読む楽しみがある。7首というのは、基本的に、見切りがつけられない=次作へ期待が持ち越されれば、成功だと思う(流石に5回続けてつまらない作品を読んだ作者は追わなくなるので)。


目を上げて川をみるなりわが電車利根川鉄橋にさしかかりたれば/小池光

と言いつつ、10首連作枠から。「わが」で「わたしが乗っている」を担わせているのがうまい。加えて、「わが電車」と限定されることで無防備な(場所の限定がなかった)川を見る目が一気に座席へ収束する。縦二座席ではなく横に長いタイプのがらがらの電車の真ん中あたりに座っているような気がするのは両眼を使って見ているように感じるから。


ファン・ゴッホくるへるごとくまつきつき菜の花ばたけは菜の花を着て/渡辺松男

去年の終わりぐらいから渡辺松男こそライバルに相応しいという気持ちがむくむくと湧き上がっている。渡辺の歌を読むたびにどうしてここまで好感度が高いのかと首を傾げたくなるほどの嫌悪感を抱く。これでは鮭の産卵じゃんと思うが、みんないくらは好きなんだった。〈ひとが手を振れるに光る腋の下たいさんぼくの咲きたるごとし〉なんて実質松男型の〈ノースリーブの腕のひかりの苦しくて好きになつたらあかんと思ひき/大辻隆弘『景徳鎮』〉じゃんと思うが、実質をいかに魅せるかが個性なんですかねえ。


重なり合う星座はあらず親になることなく見上げる冬の夜空に/鍋島恵子

ぽつぽつと見かけるたびにこの作者の歌の立ち姿が良いなと思ってしまう。なぜだろう。


返ってきたメールとすごす冬の午後 いろんな色にライターがある/永井祐

〈メールしてメールしている君のこと夕方のなかに置きたいと思う〉然り、永井さんはメールを味わうのが相当お好き。LINEなんかも既読を付けずに受信したメッセージをしばらく馴染ませるようなタイプなのかな。もう少し踏み込むと山階基作品の優しさとの違いを考えるとおもしろいと思う。〈自転車のサドルをかなり上げたまま返したことを伝えそびれる/山階基「忘れながら数えながら」『短歌研究』2023年1月号〉


詞書:福岡では時々空飛ぶ桃を見ることがある どこもこんなものだろうか

空飛ぶ桃を眺める朝よ 染野さんの島田修三のうた何度も唱える/竹中優子

わたしも一年休職していたこともあり〈今休めば太宰治賞に間に合うと思わなかったと言えば嘘になる〉も含めて細かいニュアンスまであうあうとなる。〈チキンラーメン慌てて食べてひとしきり『あの日の海』と『人魚』を読んだ〉という一首をわたしは作った。


美しく重たくひどい着心地のコートに消えてしまいたいのよ/平岡直子

〈からっぽの頭で乗っている電車シュークリームの空気は甘い〉と迷ったが、この永井祐感を先に読んでからの一首を選ぶ。〈美しく重たく〉〈ひどい着心地の〉〈コートに消えてしまいたいのよ〉と三段階のギアチェンジがあるが、一首の読み下しとは反対に初二句の〈美しく重たく〉の脚韻(で合ってます?)が現在の心情として重たくのしかかってくる。


毛布からはみだす肩が冷たいと自律神経に雪が積もると/小島なお

「短歌テトラスロン」の30首もそうだったが、得体のしれない、スケールの異様に大きな相手を扱いそこね続けている。こういうときにわたしは「歌集で読みたい」と思うようだ。〈読むように抱き、それからはありふれた手順であかい月をみあげた〉〈浴室の磨りガラスにまで貼りついた私の声を剥がしておいて/小島なお「魚は馬鹿」『短歌研究』2023年1月号〉


風の誕生日それからわたくしの頭皮くるしむごとく波打つ/大森静佳

『シンジケート』にこんな歌なかったっけ、と思ったが、〈風の交差点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり/穂村弘『ドライ ドライ アイス』〉だった。『ヘクタール』の出版それから、みたいな歌でしょうか。


もう二度と起きないけれど僕たちは微粒子レベルでまた手をつなぐ/藪内亮輔

藪内さんの歌は着眼点は微粒子レベルなのに歌の骨格が太いという矛盾がずっとあり、もはやそれしかないが、それを作家性と呼ぶのだろうか。


私ばかりが愛情に飢ゑてゐて恥づかしい銀杏並木のコインランドリー/睦月都

研究も含めた競詠企画で読むと毎回フレッシュさを覚え、先の小島さんとは違った意味で「歌集で読みたい」と思う作者。わたしの中で歌集とはとにかく飽きずに最後までページを捲りたい本でしかない(ので、理想の歌集とはすべての歌をはじめて読むように読める歌集、になる。平岡直子の「まだ読み終わらない」という『シンジケート』評を思い出されたい)。スケールの大きさとフレッシュさ。いい歌集作るぞ。