2022年4月14日木曜日

現代短歌の無意識(再掲)

初出はnote(2021年5月8日)

雪舟えま『たんぽるぽる』歌集一冊の面白さはわかるのだけれど、それに触発されて歌ができるということがわからない。自分の場合に置き換えてみると、かつて永井祐を読んで面白いくらいに歌ができる時期があった。原理的にはそれとおなじ仕組みなのだろうが、それは信仰と反発を同時に生む。『はつなつみずうみ分光器』でいうところの藤本玲未、山崎聡子、初谷むい。遡って、今橋愛、盛田志保子、飯田有子。柴田葵は笹井宏之賞時代の兵庫ユカだろうか。収録のタイミングに間に合わせてほしかったが、橋爪志保、平岡直子。『みじかい髪も長い髪も炎』のあとがきにあったように「短歌はふたたびの夢の時代に入った」のだと思う。しかし、この一文で何度も反芻したくなるのは不思議なことに「ふたたびの」の「の」だ。〈食べかけのベーグルパンと少年と置き去りの壊れた自転車/平岡直子〉。平岡直子を筆頭に瀬口真司、青松輝。穂村弘も夢の時代のキーパーソンになるのだろう。『シンジケート』の新装版はもう間もなく。わたしが見る夢は現在のツイッター短歌界隈のように混乱かつ退屈を極めるものであってはならない。少なくともその混乱の抜け道になっていくべきだ。辛うじて現在はその抜け道を寄り道的に享受する余裕がわたしにはあるが、皆がふたたび夢を食い合うようになればあっという間にワンルームに引き返すことになるだろう。雪舟えま『たんぽるぽる』(5刷)の帯を東直子が書いている。藤本玲未『オーロラのお針子』の帯を東直子が書いていることは東直子が監修者だから理解できるが、『たんぽるぽる』の帯を東直子が書いていることに何度も驚く。東直子も穂村弘も雪舟えまもリアルタイムでないからこそ驚く。初谷むいが『地上絵』の帯を書いているぐらいの感覚。その初谷むい、藤本玲未、前田康子の章を『はつなつみずうみ分光器』では面白く読んだ。とりわけ前田康子は『現代短歌』との付き合いなんかも薄っすら感じつつ椛沢知世の歌のクリティカルポイントが掴めた。それから吉野裕之。冒頭の引用を読んでわたしは爆笑したが、阿波野巧也はブチ切れてもいいと思った。それにしても東直子の再評価。再評価?『春原さんのリコーダー』『青卵』文庫化の反響ではなく文庫化と同時に再評価が済んだ印象がある。『みじかい髪も長い髪も炎』に東直子、北川草子の影を一切感じなかったのが奇跡のように思える。『はつなつみずうみ分光器』『みじかい髪も長い髪も炎』二冊の裏ボスは日々のクオリアの花山周子だ。〈無造作に床に置かれたダンベルが狛犬のよう夜を守るの/平岡直子〉