2020年3月18日水曜日

短歌読書日記(3月中旬)

相変わらず、歌集を読んでいる。一時期は総合誌を追いかけるのが楽しかったが、ここのところは買いそびれていた歌集なんかをわりと必死に探し求めている。

「羽根と根」の創刊号と2号の合本のやつ『フラジャイル』『紅い花』『人類のヴァイオリン』などいま探すのむずかしい歌集の引用がけっこうある(それぞれの好きな歌集をリレー形式で評論する企画がある)ので重宝する。

というつぶやきからセレクション歌人の『辰巳泰子集』の存在を思い出しさっそく読んだ。「羽根と根」で佐々木朔さんが引用していた歌や有名歌の印象とはまた少し違う魅力をわたしは『紅い花』に感じた。とりあえず二十首選。

辰巳泰子『紅い花』
東西にのびて憩へるいもうとの四肢マシュマロのごとく匂へり
一枚の木綿のシャツの畳みかたを違へるごとく愛しあひをり
身につけし卑怯のひとつ昂りてなすことごとく青春と言ふ
ニス塗りわすれしところより崩れはじめたる積木と言ひて言へば易しも
理由なきあまきちからをたづさへて秋の海ごとうねる地球儀
ステンレスの刃(やいば)林檎にあてがひて保身のための語は聞き捨てつ
あをぞらにすつくと伸びて佇つ葦のいましあはせにまみれてもみよ
冬の陽を浴びて産毛のそよぎゐる男の肋骨(スペアリブ)を見てゐる
傘の柄を握る左手(ゆんで)がふるへても腸(わた)を破れぬ一語あるあはれ
わが内臓(わた)のうらがはまでを照らさむと電球涯なく呑みくだす夢
まう会はぬと告げたる歯にて蛤の吐ききれざりし砂嚙みてをり
ローソンの袋に顔も手も胴も入れて歩いてゐる夢の淵
争ひつかれて透明になる術ぞこれ風なぎわたる十字路へ来て
離(か)れたらむ自由たとへばふたたびを花につたなく泣かされてみむ
なにごとも水に流してしまふならやまとのみづは腐る日近し
空つぽの灰皿のうへに降(ふ)りきたる秋のたんぽぽのふかき着床
サバンナにけもの撃たれて死すまでの意識は白く奪へるテレビ
身障のひとの絵とこそおもふゆゑ救はれて佇つひとりかわれも
夕風と身をからませる一体の柳かとほくこの身けだるし
あさの眼は閉ぢてこそ聴けさいはてへ往きて戻れる静脈の音

『海量』『東北』を読んで以降、参照項として浮かびがちな大口玲子との違いについて。大口さんの歌は大口さんがひたすら燃えているのを読む感じだけど辰巳さんはあなたにも燃えるものあるでしょ?と一緒に燃えさせてくれる感じがある。この点については佐々木さんの「辰巳の歌は「情念の歌」と評されているけれども、決して情念に流されるままの歌ではない。むしろ激しい感情の流れの中にあって、自分がどのような状態かを確認し続けることで懸命に自分を押しとどめるための歌、情念にさらわれないための歌のように思える。」の指摘に同意する。大口さんの歌は情念を屹立させるような歌。助動詞を梃子に意外とリズムがシンプルなのも屹立性と関係あるのかなと思ったりする。

房総へ花摘みにゆきそののちにつきとばさるるやうに別れき/大口玲子


好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ
/東直子『青卵』

この歌、燃えているのはカヌーなのかみずうみなのか、という読みの選択肢を以前に聞いたことがあったけど、カヌーを含んだみずうみ全体を〈わたし〉が燃やしているみたいなイメージで読みたいなと思った。


わたしが一番最強だと思う短歌の初句は井上(法子)さんの〈どんなにか〉。まあこの〈最強〉にはいろんな意味合いがあるけれど。凄さがじわじわわかってきたのは武田さんの〈生きてさえいれば 〉。わたしとかだとこのフレーズがもしかりに単体で浮かんだとしても字余りで結句にすると思う(アララギのわれは、口語のぼくは、きみは落としみたいなニュアンスで)。それがこの歌では初句七音でもなくぴったりと〈5/7〉を埋めるようにある。実際、最初ピンと来なかったのは〈生きてさえいれば〉を初句七音みたいなリズムで読んでたからだ。〈生きてさえ/いれば 〉の凄さは令和版百人一首の平岡さんの評文の最後の二文に書かれてある。




上のとこれ以降は、以前に正岡豊さんがつぶやいていた短歌の初句と自尊心の話を思い出してのこと。

〈かわいい海とかわいくない海 end.〉(もとは一首として発表された)だと「ちょっとちょっとちょっと」ってつっこむことも速すぎて見ないこともできると思うんだけど(そういう意味でユートピアに近づけてるのは〈おりがみのあしのときめき不意に主役は刺されるものさ/瀬戸夏子〉だとわたしは思う)

他に短歌の入りで感動したのは土岐さんの幻の(?)名歌〈春の原っぱのさようならへその緒を切られたみたいにくすぐったい〉で第三回だったかの歌葉新人賞候補作中の一首なんだけど、この歌を瀬戸さんがbotで〈切られたみたいで〉と間違って入力してたのがまた感慨深いというか(瀬戸さんの第二歌集は〈て〉の歌集とも言える)